四月の魔女の部屋
『坂本真綾の満月朗読館』第五夜·四月の魔女の部屋
歌手:坂本真綾
专辑:《『坂本真綾の満月朗読館』第五夜·四月の魔女の部屋》

わたしはエイプリル。あなたはフール。
魔女エイプリルは死にました。
人々は口々に彼女を嘘つきと罵り拷問して火あぶりにしました。
エイプリルは嘘なんかついたことはなかったのに。
「ああ、死ぬのはいやだ。わたしは魔女です」
たった一つの嘘をついたがために彼女は神様から罰を受けました。
おまえの願いがすみやかに叶うように。
たくさんの人が死に世界は焼け野原になりました。
エイプリルは部屋にとじこもり誰にも会わなくなりました。
でもそれではあんまり寂しかったので一年に一度だけ扉の鍵を外しました。
四月一日にだけ開く魔女の部屋です。
この部屋では嘘はつけません。
すべての嘘はエイプリルが叶えてしまうからです。
老いた盲人が迷い込んできました。
盲人はエイプリルが何者かも知らぬまま、嘆き嘆き言いました。
この目が見えたならどんなにか素晴らしいことだろうと――
盲人は素晴らしい二つの眼を授かりました。
盲人は驚いて、エイプリルの緑の黒髪や、大理石のように白い指先を見つめました。
「あなたは美しいのか」
エイプリルは首を振ります。わたしは醜い魔女です。
首をかしげながら盲人はエイプリルの指に、顔に、触れました。
「いいや、違う。あなたはとても美しい人だ」
盲人はなんでも見ることができました。けれど自分の指で触れてみるまでそれが何かはわかりません。
「あれは何です」
天窓に輝くものを指差して盲人は尋ねました。
あれは月です。
盲人は恐ろしいものでも見たようにひどく身震いすると部屋を出ていきました。
やがて彼はずっと目をとじたまま過ごすようになりました。
異端審問官(ウィッチハンター)がやってきました。
「つきとめたぞ、疫病と大災の魔女め」
審問官はエイプリルを汚く罵り、犯して殺しました。
その細い首を切り落とし、胸をえぐり、心臓をうばいました。
審問官は血のしたたる心臓を箱に詰めて得意げに持ち帰りました。
聖油で燃やし尽くされ白い灰となっても、まだエイプリルは魔女でした。
物好きな求婚者がやってきました。
「あなたに結婚を申し込みます。魔女エイプリル」
エイプリルは彼と契りを交わし、ただの一日で子供を産みました。
すくすくと成長した子供はとても賢く、すぐに言葉を覚え、部屋の外に出たいと願いました。
エイプリルはその通りにしてあげました。
残された求婚者はエイプリルに詫びました。
「すまない魔女エイプリル。あの子がひどく気がかりだ。
魔女の子と咎(とが)められ、どんな迫害を受けているかわからない。私が守ってやらねば」
エイプリルは寂しそうに肯きました。
求婚者は子供を追いかけて外へ出て行き、二度と帰ってはきませんでした。
聖者と呼ばれる旅の男がやってきました。
他言するなとエイプリルに誓わせて男は詰め寄りました。
「本当は奇跡の力など持ちあわせてはいないのに、皆(みな)がわしを待ち望む。
魔女のお前にはなぜ力があるのだ。その悪魔の力をわしによこせ」
旅の男は真っ白な髭をふるわせて泣き崩れます。
「わしはただ子供たちに笑ってほしかっただけなのに」
エイプリルは男に言いました。
聖者さま。呪われたわたしの力が贈り物になるのなら、どうぞ差し上げます。
しかし男はエイプリルの差し伸べた手を見つめてうなだれました。
「いいや。やはりそんな恐ろしいものはいらない。ここにいるのは少しばかり手先の器用な老いぼれだ。今ではその指も満足に動かせず、人形ひとつ作れない。施すべき金貨も尽きてしまった。頼むから聖者などと呼ばないでくれ」
ならばあなたは人間として死ぬでしょう。
それでもあなたを思い出すたびに子供らは微笑みます。
「ほっほ、魔女の言うことなど信じるものか」
男は笑い飛ばしました。
長旅の果てに男は寂しく(さみしく)死にましたが、後に聖人と呼ばれたとか。
死を目前にした病人が追われてきました。
愛する者に憎まれ、家を燃やされ、どこにも行き場所がなくなって。
彼女は部屋のすみにぼろ切れのようにうずくまりました。
「触れないで。見ないで。私を放っておいて。この病に罹りたくなかったら」
わたしは魔女です。どんな病魔もわたしに赦しを与えてはくれません。
そう言ってエイプリルは彼女をベッドに寝かせ、手厚く看病しました。
それでも冷たくなっていく彼女の手をとってエイプリルは尋ねます。
わたしは魔女です。あなたが望めば、誰よりも永く生きる体を差し上げます。
けれども、長く長く苦しんだ彼女は疲れきっていて、もう治りたくなどはなかったのです。
「ありがとう。どうか死なせてください」
彼女は死にました。エイプリルは泣きました。
商人が訪問しました。自称世界一の商人です。
「なにか望みはありますか、ですって? それはこっちのせりふですよ」
商人は持ち込んだ品々の売り口上をまくしたてました。
おだやかに微笑みながら聞いていたエイプリルは、すべて終わってから言いました。
なにもありません。なにもいりません。
「いやいやご冗談を。あなたの欲しいもの、したい事、なんでもおっしゃってください。どんな物でも取り寄せてお届けしますよ」
わたしはこの部屋で日々を静かに過ごし、中庭の花たちの面倒をみて、そしてこうしてあなたとお話ししている、それで十分なのです。
「そんなはずはない!」
馬鹿にされたかのように商人は憤慨しました。
「あなたにだって不安はあるはずだ。思わぬ怪我をしたらどうします?薬が入り用でしょう。押し込み強盗を追い払うには、このマスケット銃が効果てきめんですよ。あなたはたいそうお美しいが寄る年波には勝てません。この秘伝の軟膏で若さを保つとよろしい」
なにもありません。なにもいりません。
「あたしゃ世界一の商人です。何一つお売りせずに引き下がるわけにはいかんのです。あたしにだってプライドがある」
わかりました。それがあなたの望みなら。
お持ちになられた品すべてをいただきましょう。これがその対価です。
にわかに商人の心に沸き起こったのは、彼が経験したことのない、思い描いたことすらない、この世の災厄と惨たらしい行い、そして身にふりかかる一切の不幸でした。
一瞬にして髪が白く染まった商人は、あたかも生きた亡霊のようになってふらふらと部屋をさまよい出ていきました。
村娘ジュニパとハネジュがやってきました。
「ほらね。魔女はいたでしょう?」
「べつに疑ってやしないだろ。そりゃあ何処かに魔女はいるだろうさ。幽霊話を真に受けるのはどうかと言ったんだ」
ハネジュはエイプリルに謝りました。
「どうか怒らないでください、女御主人(ミストレス)。すぐにお暇(いとま)いたします」
「ねぇ見て、なんて素敵なティーセット」
ハネジュは連れがいい加減な散らかし放題で困ると嘆き、ジュニパは喉が渇いたと我が儘を言いました。
ジュニパは紅茶を何杯も飲んでは部屋を散らかし、ハネジュはそれを渋々片付けます。
エイプリルは何もしませんでした。
ヤブ医者が訪ねてきました。
言われるがままに診察され、髪と血と爪と肉と皮と、とにかくあらゆる彼女の一部が採取されて、最後にこう言い渡されました。
「あなたは病人である。すぐに入院されるがよかろう。今日にでも」
カルテに何事か書き込みながらヤブ医者はまるで生ける標本だ、と叫びました。
どこも患ってなどおりません。わたしは魔女なのです。
「ではそれがあなたの病名です。あなたは魔女病だ。仮に肉体は健康にみえても、心が病んでいる。こんなに薄暗い、空気のよどんだ部屋にとじこもって、自分を虐待されている。私は医者として、あなたを治療し救う義務がある」
しまいにはヤブ医者はエイプリルに鎮静剤を打ち、部屋から引きずり出そうとしました。
お医者さま、どうかこのまま立ち去って下さい。
わたしは外へ出たくないのです。
人々を傷つけたくないのです。なによりわたし自身が傷つきたくないのです。
もう世界と自分とを出会わせたくはないのです。
エイプリルの懇願にもヤブ医者は耳を貸しませんでした。
ヤブ医者は髪と血と爪と肉と皮と、とにかくあらゆる一部となって部屋の外へ帰っていきました。
見えない犬がやってきました。
床を爪でかく音や息をする気配はすれども、姿はありません。
ホウキ草よりもばさばさの毛並み。目ヤニのいやな臭いもします。
見当をつけて抱きあげると、激しく噛みついてきたあげく逃げてしまいます。
しかたなくエイプリルは犬を放っておくことにしました。
ある嵐の夜、犬はおびえて扉の外に向かって吠え続けました。何者か判りませんが、誰かがいます。
そもそも四月の一日以外には、誰も部屋に近づくことは出来ないはずです。少なくともそれが生者であれば。
またある大雪の夜、暖炉脇に寝そべっていた犬が跳ね起きて、扉に向かって火のように吠えました。
かすかな雪音だけを残して何者かは去っていきました。
――そしてちょうど一年が経った、ある明け方。
こつ、こつ、と杖の先で玄関の石を叩く音がします。
犬はうっすらとその姿を現して、扉の前に静かに立ちました。
エイプリルは犬に尋ねました。
あなたの大切な人を許してもよいのですか?
犬は小さく鳴きながら扉に鼻先を押しつけます。
彼女は扉を薄くあけて、ちょっぴり残念そうに犬を見送りました。
魔女エイプリルが使い魔と暮らした、ただ一度の例外です。
売れない画家がやってきました。
画家は髪をかきむしり、ヒステリックに叫びました。
「誰も見たことのない絵を描きたい。人々が心を打たれ、畏怖し、生涯記憶に留めるような壮大な絵を」
誰も見たことのない絵。彼の志す絵はエイプリルにもわかりません。
そこで尋ねます。その絵を彩るために、どんな絵筆が必要なのですか。
「希有なる絵筆が必要だ!鉄のごとく揺るぎなく、炎のように柔軟な。筆先には真実の絵の具がふくまれている」
どれだけの画布(キャンバス)があれば、こと足りるのですか。
「広大な! むろん広いだけではない。それは信念と償いの糸で編まれている。稲妻のように筆先が閃くたび海の果てまでも拡がっていく!」
そこまで熱弁して急に弱気になった画家は、狼狽してエイプリルの膝にすがりました。
「赦してくれ。私を罰してくれ。そんなものあるわけがない。誇大妄想の戯言だ。望むことすらあってはならない」
エイプリルは彼を慰めながら言いました。
たとえ叶わずとも、願ってはならない望みなどこの世にあるでしょうか。
画家は目を潤ませて肯き、彼女の掌にうやうやしく接吻を残して去りました。
生涯をかけて我が理想の絵を描きあげてみせる――そう呟きながら。
吸血鬼メイがやってきて赤い翼を休めました。
「御同類ね」とメイは言いました。彼女も死ねない運命の異端の娘でした。
ふたりは中庭を彩る草花や、好きなお茶のこと、たわいないお喋りをして一日を過ごしました。
「あなたに呪いをかけた神様もいつかは滅びることでしょう」
最後にそう言い残してメイは飛び去っていきました。
読者がやってきました。
ええ、あなたです。
四月の一日だけ、魔女エイプリルの部屋の鍵は解かれ、訪問者を迎え入れるのです。
ただ彼女はちょうど長椅子にもたれ、うとうとと寝ついたところ。
あなたがお急ぎでなければ彼女が目覚めるまで、しばらくお待ちになってはいかがでしょう。
そのあいだ、ひとつゲームをいたしましょう。
彼女のまどろみからこぼれた夢が、かすかにあなたの頬に触れます。
それはどんな印象でしたか。これと思ったものを次の言葉から選んでください。
【コルク 洗濯板 バルサミコ酢 麦刈り 女王 死神】
ではその言葉に強く結びつくと感じる言葉をどうぞお選びください。
【石鹸 魚釣り 葡萄酒 鎌 メイポール 蜂】
そのものの示す働きと本質を次のなかから見極めてください。
【走る 刺さる 告げる そよぐ 香る 謡う】
では最後。その働きに正しく当てはまる言葉をお選びください。
【錬金術師 水車小屋 薔薇 カドリール 幌馬車 人形芝居】
選んでいただけたでしょうか。当ててみせましょう。
「人形芝居」ですね。
……失礼。どうやらがっかりさせてしまったようで。
ああほら、エイプリルが目を覚ましました。
彼女はあなたの瞳を優しくどこか寂しげに見つめ、声をかけられるのを待っています。
もしあなたの願いが確かな言葉になるものならば、それはもう殆ど叶っています。たとえ今は嘘だとしても。
本当の願いは叶えるよりも見つけるほうが難しいのです。
エイプリルが微笑みます。
いつのまにか彼女の掌には一輪の薔薇が握られておりました。
それからずっとずっと長い間、誰も部屋にはやって来ませんでした。
幾年も 幾年も
フールがやってきました。
「やあ、僕はフール。きみがエイプリルだね?」
よろしければあなたの望みを――
そう言いかけた彼女をフールはやんわりと差し止めました。
「きみは一言も喋らないでいい」
そう言って、フールは一日ただ部屋をぶらぶらとした挙げ句、
「またここに来たい」
そう告げて、世界へ帰っていきました。
翌年もフールはやってきました。
その次の年も、そのまた次の年もやってきました。
ある年フールは機械仕掛けの楽器を持ってきました。
楽器のしらべにのせて、フールとエイプリルは踊りました。
フールのダンスは信じられないくらい下手でしたが、
一日が終わるまでエイプリルは何度もダンスの相手をせがみました。
ある年はふたり連れだって中庭を散歩しました。
一巡りするのに一分もかからない、小さな庭園です。
そこにある草花をフールはよく知っていました。
彼はとても植物を愛していて、
エイプリルは彼がさまざまな草花について語るのを聞いているだけで嬉しい気持ちになりました。
ある年エイプリルはフールに手料理をふるまいました。
魔法で創造したものではない、彼女自身が種から育てた食材の素朴な料理です。
食べ慣れない味に彼は神妙な顔をしていましたが、何度も木椀を差し出しておかわりしました。
年老いたフールがやってきました。
「これから言うことは嘘だけど」
そう前置きをしてフールは語りだしました。
世界はとっくに滅んでいて、フールはこの星で最後の人間でした。
もうどんなカレンダーも無意味だし、嘘をつく相手もじきにいなくなる。
僕の墓はこの近くに作るつもりだから、気が向いたら来ておくれ、そういってフールは去りました。
次の年、フールは来ませんでした。
翌朝――
部屋の外へと出たエイプリルは、人々が平和に暮らす光景を見て驚きました。
人々は皆不死となり、誰もが自分の願いを自由に叶える力を持っていました。
小さな墓地を訪ねたエイプリルは、そこでフールの墓を見つけます。
彼はこの星の最後の死者でした。
彼が好きだと言ってくれた花を捧げてエイプリルは墓碑の前に膝をつきました。
「ああ神様。わたしは魔女でした。でも今は違います」
わたしはエイプリル。あなたはフール。
魔女エイプリルは死にました。
Ende.
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