坊っちゃん
坊っちゃん
歌手:木村良平
专辑:《坊っちゃん》

海王社文庫
坊っちゃん 夏目漱石
朗読 木村良平
...
教員が控所(ひかえじょ)へ揃(そろ)うには一時間目の喇叭(らっぱ)が鳴らなくてはならぬ。
大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々(おいおい)ゆるりと話すつもりだが、
まず大体の事を呑(の)み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。
おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。
校長の云うようにはとても出来ない。
おれみたような無鉄砲(むてっぽう)なものをつらまえて、
生徒の模範(もはん)になれの、一校の師表(しひょう)と仰(あお)がれなくてはいかんの、
学問以外に個人の徳化を及(およ)ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。
そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。
腹が立てば喧嘩(けんか)の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、
この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。
そんなむずかしい役なら雇(やと)う前にこれこれだと話すがいい。
おれは嘘(うそ)をつくのが嫌(きら)いだから、仕方がない、
だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断(こと)わって帰っちまおうと思った。
宿屋へ五円やったから財布(さいふ)の中には九円なにがししかない。
九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜(お)しい事をした。
しかし九円だって、どうかならない事はない。
旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底(とうてい)あなたのおっしゃる通りにゃ、
出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。
やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。
そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇(おどさ)さなければいいのに。

そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。
もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。
広い細長い部屋の周囲に机を並(なら)べてみんな腰(こし)をかけている。
おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。
それから申し付けられた通り一人一人(ひとりびとり)の前へ行って辞令を出して挨拶(あいさつ)をした。
大概(たいがい)は椅子(いす)を離れて腰をかがめるばかりであったが、
念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭(うやうや)しく返却(へんきゃく)した。
まるで宮芝居の真似(まね)だ。十五人目に体操(たいそう)の教師へと廻って来た時には、
同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向(むこ)うは一度で済む。
こっちは同じ所作(しょさ)を十五返繰り返している。少しはひとの了見(りょうけん)も察してみるがいい。

挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。
文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙(みょう)に女のような優しい声を出す人だった。
もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣(しゃつ)を着ている。
いくらか薄(うす)い地には相違(そうい)なくっても暑いには極ってる。
文学士だけにご苦労千万な服装(なり)をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿(ばか)にしている。
あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。
当人の説明では赤は身体(からだ)に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂(あつ)らえるんだそうだが、入らざる心配だ。
そんならついでに着物も袴(はかま)も赤にすればいい。
それから英語の教師に古賀(こが)とか云う大変顔色の悪(わ)るい男が居た。
大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。
昔(むかし)小学校へ行く時分、浅井(あさい)の民(たみ)さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。
浅井は百姓(ひゃくしょう)だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、
あの人はうらなりの唐茄子(とうなす)ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。
それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬(むく)いだと思う。
この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違(ちが)いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。
清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。
それからおれと同じ数学の教師に堀田(ほった)というのが居た。これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐりぼうず)で、
叡山(えいざん)の悪僧(あくそう)と云うべき面構(つらがまえ)である。
人が叮寧(ていねい)に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給(きたま)えアハハハと云った。何がアハハハだ。
そんな礼儀(れいぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。
おれはこの時からこの坊主に山嵐(やまあらし)という渾名(あだな)をつけてやった。
漢学の先生はさすがに堅(かた)いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、
大分ご励精(れいせい)で、――とのべつに弁じたのは愛嬌(あいきょう)のあるお爺(じい)さんだ。
画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾(すきや)の羽織を着て、扇子(せんす)をぱちつかせて、
お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉(うれ)しい、お仲間が出来て……
私(わたし)もこれで江戸(えど)っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。
そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。

挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、
明後日(あさって)から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。
忌々(いまいま)しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。
山嵐は「おい君どこに宿(とま)ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨(はくぼく)を持って教場へ出て行った。
主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。

それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、
無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)より立派でない。
大通りも見た。神楽坂(かぐらざか)を半分に狭くしたぐらいな道幅(みちはば)で町並(まちなみ)はあれより落ちる。
二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張(いば)ってる人間は可哀想(かわいそう)なものだと考えながらくると、
いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵(たいてい)は見尽(みつく)したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。
帳場に坐(すわ)っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。
靴(くつ)を脱(ぬ)いで上がると、お座敷(ざしき)があきましたからと下女が二階へ案内をした。
十五畳(じょう)の表二階で大きな床(とこ)の間(ま)がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。
この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣(ゆかた)一枚になって座敷の真中(まんなか)へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。

昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌(だいきら)いだ。
またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発(ふんぱつ)して長いのを書いてやった。
その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。
清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。
校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。
今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」

手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気(ねむけ)がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。
今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。
最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽(ろうばい)した。
受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚(おろか)、明日(あした)から始めろと云ったって驚ろかない。
授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕(ぼく)がいい下宿を周旋(しゅうせん)してやるから移りたまえ。
外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。
なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料(しゅくりょう)に払(はら)っても追っつかないかもしれぬ。
五円の茶代を奮発(ふんぱつ)してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越(こ)して落ち付く方が便利だから、
そこのところはよろしく山嵐に頼(たの)む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。
町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静(かんせい)だ。主人は骨董(こっとう)を売買するいか銀と云う男で、
女房(にょうぼう)は亭主(ていしゅ)よりも四つばかり年嵩(としかさ)の女だ。
中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。
とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町(とおりちょう)で氷水を一杯奢(ぱいおご)った。
学校で逢った時はやに横風(おうふう)な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。
ただおれと同じようにせっかちで肝癪持(かんしゃくもち)らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。



いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。
生徒はやかましい。時々図抜(ずぬ)けた大きな声で先生と云(い)う。先生には応(こた)えた。
今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥(うんでい)の差だ。何だか足の裏がむずむずする。
おれは卑怯(ひきょう)な人間ではない。臆病(おくびょう)な男でもないが、惜(お)しい事に胆力(たんりょく)が欠けている。
先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲(どん)を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。
しかし別段困った質問も掛(か)けられずに済んだ。控所(ひかえじょ)へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。
うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。

二時間目に白墨(はくぼく)を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込(こ)むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴(やつ)ばかりである。
おれは江戸(えど)っ子で華奢(きゃしゃ)に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押(お)しが利かない。
喧嘩(けんか)なら相撲取(すもうとり)とでもやってみせるが、こんな大僧(おおぞう)を四十人も前へ並(なら)べて、
ただ一枚(まい)の舌をたたいて恐縮(きょうしゅく)させる手際はない。しかしこんな田舎者(いなかもの)に弱身を見せると癖(くせ)になると思ったから、
なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟(けむ)に捲(ま)かれてぼんやりしていたから、
それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中(まんなか)に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。
そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし」と云った。
おくれんかな、もしは生温(なまぬ)るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等(きみら)の言葉は使えない、
分(わか)らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、
もし、と出来そうもない幾何(きか)の問題を持って逼(せま)ったには冷汗(ひやあせ)を流した。
仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚(あ)げたら、生徒がわあと囃(はや)した。
その中に出来ん出来んと云う声が聞(きこ)える。箆棒(べらぼう)め、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。
そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。
うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。
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